イアールンヴィズの森から始まるイヴィング川は、そのままぐるりとヨトゥンヘイムの縁をなぞるよう海まで続いている。広く浅いその流れを導くよう、ミズガルズはミッドガルドとヨトゥンヘイムを隔てていた。
 ヨトゥンヘイムの空を常に覆う薄雲まで届く黒い柵。ミズガルズを飛び越えてしまおうと思うなら、ドラゴンの一頭でも調達できれば上々。それほどに、同じ大陸の上で隣り合う世界同士の垣根は低かった。


「こんにちは、竜騎士さん」


 けれど実情は異なる。
 ミッドガルドで生きる人族にとって、ヨトゥンヘイムで生まれる巨人族は長らく畏怖の対象でしかなかった。
 ミズガルズは唯一絶対の防衛線。その存在によって巨人族の脅威から自分たちの世界は守られているのだと、そう信じ切っている人族は多い。まともな魔法学校で――ミズガルズがただ魔力を塞き止めるためのものでしかないのだという――真実を学んだはずの魔法士にさえ、巨人族へ謂れのない恐怖を抱き続けている者はいた。

「綺麗な竜ね?」

 にっこりと笑みを浮かべながら首を傾ける。少女は長く伸ばした黒髪を結わずに垂らし、白く柔らかそうな肌の上へ散らしていた。
 ミズガルズの東側。イヴィングのせせらぎも聞こえなくなって久しいヨトゥンヘイムの只中で、竜騎士ナイトメア・クロスロードが出会った少女は一目見てそうと分かる人族だった。
 まさかこんな所で同族の、それも少女に声をかけられるとは思ってもみない。

「どうしてこんな所に人が…」

 多くの人族が信じているよう、目を合わせた途端に問答無用で襲いかかってくるような巨人族はそういない。好んで人肉を口にするだなんて以ての外。
 けれどその事実を差し引いたとして、ヨトゥンヘイムが人族の少女にとって安全であるとは言い難い。世間で言われているほど混沌とした場所ではないにしろ、ミズガルズという柵を設けなければならない道理は確実にあるのだから。
 ナイトメアは驚いていた。心の底から。そしてほんの一瞬、まだ幼ささえ残る少女に対して畏れを抱いた。
 そんなナイトメアの内心を知る由もない少女はけれど、分かっているかのようにくすりと笑う。笑って、一目見て分かる事実をゆっくりとなぞるよう口にした。





(エンカウント/姫と夢魔。そうぐう)